@article{oai:koeki.repo.nii.ac.jp:00000194, author = {竹原, 幸太}, issue = {17}, journal = {東北公益文科大学総合研究論集}, month = {Dec}, note = {論文(Article), はじめに 教育と福祉の関連をめぐる歴史的課題を「教育福祉」問題として自覚化させたのは小川利夫であった(小川、1985)。とりわけ、貧困、放任、障害等、教育と福祉の問題が交錯しながら浮上する非行問題への対応は安易な懲罰主義を否定し、「児童・少年を一定の施設に収容して、国家的に保護教育する」(菊池、1936a:351)感化教育を生成し、その思想的・事業的創造がなされてきた点において、まさに先達の叡智を結集した歴史的産物であることが確認される。また、青年概念と非行概念は平行して成立していったと指摘されるように(稲垣、2002:16)、非行児童処遇の形成過程を辿ることは、大人とは異なる児童(青年)期への理解の深化を確認していく作業でもある。しかしながら、昨今の衝撃的な少年事件を受けて2000(平成12)年以降少年法「改正」が相次ぐ等、歴史と逆行するような非行児童処遇の刑事司法化(司法における児童期の消滅)が加速している。そこで、本稿では、再度、非行児童処遇史に学んでいくことをねらいとし、とりわけ、以下の点を明らかにする。第一に、日本で最初の児童保護関連法として誕生した感化法の制定事情を概観し、感化法公布以降の非行児童処遇をめぐる内務省と司法省の思潮対立を概観する。第二に、感化教育が刑事政策体系へと揺り戻される中で、感化教育の事業的発展を促す契機となった国立感化院武蔵野学院の設置と初代院長菊池俊諦の児童保護啓蒙活動の展開に注目する。以上を通じ、非行児童処遇史において菊池の啓蒙活動が児童保護事業として感化教育を位置づけていく上で重要な役割を果たしていたことを明らかにする。}, pages = {127--138}, title = {非行児童処遇史における児童保護意識の発展 : 菊池俊諦の児童保護啓蒙活動に注目して}, year = {2009} }